昭和4年〜13年   

   
  手形山ジャンプ大会

手形山がスキーヤーのメッカとして親しまれ、数々の指導者や選手を送り出したのは大正の終わりから昭和の40年頃までとみてよいと思う
以後は経済成長に歩調を合わせ、各地のスキー場が開発されモータリゼーションの時代と共に忘れられた。

手形山で開催された全県スキー行事
大15.2.7 体協スキー部発足記念第1回全県スキー大会
昭2.2.20 体協主催全県スキー大会
昭3.2    第2回全県スキー大会

千秋公園から手形山
秋田スキー倶楽部会長 千葉桃八氏(要約)
倶楽部創立以前に金照寺山全県大会、寒風山大会、第1回全県大会(手形山)などを行っている
講習会は宣伝を兼ねて千秋公園で小学生にスキーを貸して行っている。
手形山でスキーを始めたころ山の幼木が折れ、田が荒れるとの苦情があり昭和10年に田地五畝歩を購入山口他3名で登記した。

昭和4年  1929  1月  ノルウェーヘルセット中尉一行、大鰐でスキー講習会を開く。県内参加者多数あり。 
    1月  第1回全県スキー大会を千秋公園の記念館前で開く。
     2月  第1回全県スキー大会を後三年で開く
   5年 1930   3月  ハンネス、シュナイダー来秋、秋田、大館で講演と映画会を開き、アールベルグスキー術を紹介する。
   6年 1931  3月  大館町長根山に60米級ジャンプ台が竣工、東日本ジャンプ大会を開く。
   8年 1933  12月  武蔵鉱城「秋田スキー年譜」改訂版(初版昭5)編さんし体協より発行する。
  11年 1936  1月  手形山にジャンプ台(30米級) 竣工
  12年 1937  2月  第15回全国スキー選手権大会を大館で開く